文化祭
6月が年期末に当たるフランス。
長男の幼稚園では5月に文化祭をやる。
2019年の5月といえばラマダンの時期にも当たるのです。
長男が通っている幼稚園は、生粋のフランス人の次に多いのはイスラム系。
そのラマダンの時期に当たる文化祭で、ママ友がソーセージを売ろう!とグループチャットで提案してきた。
案の定、フランス人のママが
「いやーいいけどさ。この時期はラマダンだよ。わざわざこの時期に豚肉はどうなんだろうね。教育委員会長はトルコ人だよ。豚肉じゃないのに変更できないの?」
と言ってきた。
それに対して、宗教に問題がある人にはそこのブースに行かないようにする。
という提案返しだった。
私は若い時にガチのイスラム教の友達がいた。
若い時は難なくうまくいっていたのだが、歳を取るごとに宗教の染み込みも子供の頃とは訳が違う状況になる為、グループの中で、
神に反する行動と
仲間でやりたい行動
の食い違いにちょこちょこ問題が起きていた。
本気のイスラム教の友達を見てきたので、私の中で文化祭でソーセージを出すのはハッキリ言ってダメだと思っている。
この事で胸騒ぎが止まらず、どーにもこーにもならず旦那に打ち明ける位悶々としてしまった。
一方、旦那はガチのカトリックの家庭で育った。
正しく言うと、旦那のおばあちゃんが、ガチガチのカトリックだった影響で、義母やおじさん達は、人生全てがイエス様だ。
旦那と結婚するまでは、私も十字架のネックレスを付けてお洒落と本気で思っていたし。
キリスト教カッコいいとまで思っていた。
が、この家族の一員になって、十字架はイエスの面影しか見えなくなり、フランスで友達になった日本人の女性が十字架のネックレスを付けているのを見てギョッとした自分の変化に驚く位、私の中でカトリックの本性を知ってしまったのだ。
日本で、教会でキリスト教を勉強した事とは別世界の現実がそこには存在している。
普段、普通に生活をしていて、フランス人の友達に「今時教会に本気で行く人いるかよ〜?」の会話に
「私の義理の家族はガチで行くよ」と言ったら「ウララ〜!!」と言われた笑
そんなガチで宗教に浸っている人たちを見ているので、ラマダンの時期に豚肉は無いだろ。
と私は思っていた。
旦那はカトリック棄教者だ。
学校でも宗教を待ち入れる事をフランスの公立学校では禁止されている。
棄教者の意見は
ラマダンをしている人たちは自分に被害が回らないように行動するのも、文化や宗教が違う環境で上手く付き合い、生きていけるのでは無いか。
従って、今回の提案は一理あるとして全否定は出来ない。
平和を願うものなら誰しもそう思うだろう。
ヒッピーマインドの私から言わせてもらえば、正にそれなのです。
でも、実際はそんな簡単な事じゃ無い。
ましてや教育委員会の会長がトルコ人とか。
実際どこまで気を使ったらいいのか分からない中で、移民が増え続けるこの町では
「あまり深く考えこまず、やってみるだけ」
で実行される。
移民を受け入れるのにある程度上手くいっているのは、この
「あまり深く考えずやってみるだけ」
には
宗教問題を理解した上での実行のため、派手さがしつこくない所だと思っている。
例えばソーセージを宣伝する垂れ幕がないとか。
商売を考えればPOPがあればいいに決まってる前提でそれをやらない。
味気なくて面白くない!
と日本から来たばかりの頃、私は本気で宣伝の下手さに不満を思っていたが、
実際に商売の裏にはこういう理由が密かにあったりする。
フランス全体は分からないが、
少なくとも私が住んでいる町は、隣の国が近いからか、異文化を受け入れるのが上手い。
今回の宗教に関しても、上手に派手にならないように実行し、フランス文化を上手く引き継いでいるのです。